しんがり 山一證券 最後の12人
清武 英利 著『しんがり 山一證券 最後の12人』読了
どこかの書評に出ていたので読んだ。ノンフィクション。
すでに20年近く経つのか。山一證券が破綻してから。
当時いわゆる大会社が急に自主廃業なんてことがなぜ起こるのか非常に不思議だった。なかなか内情はマスコミには出てこなかったような気がする。そのころはバブルが崩壊していわゆる住専の破綻処理なんかでヤクザに便宜を図っているようなことがあったから、そんな感じなのかと思っていたが、そうではなかったんだ。極めてひどい不正隠しが行われていて、それが経営陣も巻き込んだ中で長年行われていた。しかも簿外の債務がたくさんあって、それを表に出さないように子会社を作って、その会計年度をずらして債権を回転させるという荒業まで行っていた。どこにも正義を訴える人はいなかったのか。コンプライアンスという言葉がなかった時代なのだろうか。
でも、経営陣からそっとやれって言われればやるしかないだろうね。自分だって言えないことはある。軽く法律に触れることだって言われればやってきた。ただ、ここまでではない。しかも、あとでなんとか帳尻は合わせてきた。普通の感覚だったらそうなんだろうね。
中には耐え切れずに秘密を飲み込んだまま自殺の道を選んでしまう人もいた。かわいそうでならない。
山一ほどの会社なので従業員もたくさんいた。殆どの人達は自分の会社がまさか自主廃業になるとは思っていなかっただろう。最悪でも会社更生法とか民事再生法で会社は残って、縮小されながらも業務は継続ってことが一般的だから、ある日突然廃業なんてかわいそうでならない。
あの時思ったのは会社っていうのはいつまでもあるなんてことは幻想でしかないってことだ。戦後70年しか経っていないので、せいぜい50年もっていればすごい会社だってことなんだよな。長く続けるってことはそれなりに苦労していなければ出来ないことだよ。山もあれば谷もある。山の時は好景気に踊るだけでいいが、谷の時はひたすらたえしのばなければならない。そうやって波にもまれて、時には人も変わって長続きするのが会社なんだろう。そして、ある時には嵐で突然倒れる大木のように突然倒産もする。そうなっても、サラリーマンとしては生きていかなければならないので、自分の腕で、能力で生きていかなきゃならないのだよ。そう思って生きなきゃ。会社は守ってくれない。最後は自分だけしか信じるものはない。
これなんだよ。
あと、この小説を読んで思ったけど、敗戦処理って大変なんだってこと。でも、始末をつけなければならな仕事はある。逃げ出したほうが楽なのに敗戦処理を買って出る。なかなか出来ないことだよ。いい人もいたんだよね。山一證券にも。改めて思った。
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